2013年6月25日火曜日

無くて七癖、無くて七トラブル

トラブルっていうほどのもんでもないのですが、天井下地組をやっている状況です。


ここには写ってませんが、この左側の部屋もこうやって梁を出した勾配天井になるのですが、大工さんが普通に平天井の下地を作ってました。

まあ、ちょっとした連絡ミスです。現場監督さんとは打ち合わせをして指示してあったのですが、現場監督は大抵複数の現場を持っているので職人さんとの意思疎通がすれ違うことがままあります。
その為に複数の目で現場を見る事は重要です。

今回は、なんとなく気になってフラッと現場に行ったのですが早めに見つけて良かったです。
現場は無くて七癖ならぬ「無くて七トラブル」っていうのが普通です。

現場には大勢の職人が出入りします。 誰が悪いってことはないんですが、それぞれの職人さんにそれぞれの思い込みがありますし、自分のパートはしっかりやっていても全体を見る事は個々の職人さんには難しいです。

全体をまとめるのは現場監督の管理という仕事であり、全体と部分の関連性のチェックしたり図面に載せきれない詳細の相談をするのは設計事務所の監理という仕事です。

建築の現場には大勢の人間が関わります。ミスや思い違いっていうのもしょうがない部分もあります。(人間ですから)

そうした部分を早めにみつける運営やチェック体制が大事になります。
なんとなく気になるっていうのは、現場に気を配っている時に時折あります。設計にしろ現場監督にしろ職人さんにしろ、その現場に思い入れがあるとそういう事がおきます。思いを入れられる現場にする事が大事です。

また、なんとなくっていう以外に、システマティックに段階のチェック日程を設ける事も大事です。

早めに見つければ、修正するのはそれほど大事ではないです。今回も大工さんには無用の手間をかけてしまって申し訳なかったのですが、まあ下地組段階で良かったです。
これが、次の工事段階まで入ってしまっていると修正するのは大事になります。

そうならない段階でのチェックや事前の確認は重要です。
事前確認の例をあげると、例えば電気の配線をする前には、施主さんと現場監督と設計と電気屋さんで位置の確認をします。

そうすると、ここに家具を置くつもりだった、とかここにコンセントを増やしたいとか、この位置は若干動かしたい、などの要望や配置ミスがわかります。

今の家は電気などの設備が非常に増えていて重要な要素になっています。
壁まで仕上がってからの電気のやり直しは大変です。そういう事態を避けることができます。

家は工場からベルトコンベアの上にのって出てくる大量生産品ではなく、現場で手作業で作る一品生産の特注品です。大勢の人の手間の固まりみたいなものですから、その調整が重要ですね。




2013年6月17日月曜日

松の丸太梁


スケルトン・リフォームの現場です、松の丸太梁が出て来ました。


松は杉やヒノキと違って真っ直ぐではないので柱には使いません。
その代わり、強度があるので梁に使います。
たいこ梁は両サイドを落として、ある程度扱いやすくしたものを上曲りに使います。
上曲りのものを使うので垂れません。距離が長い梁では、昔はよく使いました。

ちなみに、30~40年前の家からは鉄骨の梁もよく出てきます。
最近は集成材の梁があるので使いませんが。
(鉄骨梁はこれがなかなかやっかいなのですが/笑)

松の梁でもたいこ梁はよく出てきますが、丸太そのままは珍しいです。

近年では、こうしたたいこ梁やましてや丸太梁はほとんど使われません。
プレカットという機械加工にのらないのと、経験のない大工さんには扱いづらい為です。
材木の流通にも出ていません。

現場監督さんに聞くと、和風の居酒屋や焼き鳥屋さんなどの店舗内装では
時折使われますが、古材屋さんから仕入れるそうです。(結構高いとのこと)

こうした梁が出てくると、やはり梁を現して使うのがいいですね。
多少汚れていても、軽く磨いて濃い目に塗装すると味のある家になります。

リフォームならではの醍醐味です。

2013年6月14日金曜日

生きる為に働くという現実に対処する方法

オーブ・アラップという有名な構造家の人がいます。関西空港などの多くのプロジェクトの構造を手がけています。

世界遺産との関連で面白い記事があったのでご紹介します。(リンクで見れる期間はわからないのですが、とりあえずこちらから

その中で、毎日食っていく為に働くという日常に対処する一つの方法を提示しています。

オーヴ・アラップの考える「仕事」

オーヴ・アラップは、「生きるために働く」という現実に対峙する時、「仕事それ自体を面白く、有意義なものにすべき」と考えていた。その方法は、「限りなき“質の追求”に邁進し、決して二流の結果に甘んじないこと」だ、と。この“質の追求”、すなわち“面白い仕事”が建築の一部に留まらず、全体へと波及するためには、「トータルデザイン」、言い換えれば他者との協力関係の中で適切な判断を下し、自身の勉強によって高みを目指すことが必要である、と言うのだ。

そして、鼓舞される彼の言葉――。「トータルデザインは現実には極めて難しいことですが、チャレンジしてみる価値は十分あります。最高の結果を得るために必要なものであり、また私たち自身もそこからもたらされる刺激を必要としているのです」

2013年6月13日木曜日

プロジェクションマッピング

去年のお話なんですが、HPの記事の引越しを兼ねて。
             
東京駅プロジェクションマッピング

これはなかなかに衝撃的です。もしかしたら、近い将来SFの世界のように建築のファサード(正面外観)は立体投影で構成されるかもしれないです。
特に商業建築は、最初からこれを組み込んだデザインになるかもしれないですね。

ツリーハウス・カフェ

うちの事務所の近所にツリーハウスのカフェがあります。
TVドラマのロケに使われたせいか人気があってなかなか入れないらしいです。

http://nanjya.jp/cafe/

高原別荘の依頼があったらこんな別棟を作ってみたいです。いま計画中なのは海辺なので、こういう木は育たなそう。でもなんか楽しい「おまけ」を考えています。

小淵沢から程近い八ヶ岳はとてもいい所でよく行きます。程々にリゾートであまり俗化されていない所が気持ち良いです。あそこならこんなツリーハウスも似合いそう。

パソコンをもっていって、木の上で日がな一日のんびり仕事できたら気持ちいいでしょうが、人気があって平日から行列できてるそうなのでそういう贅沢は無理そうです。

当事務所から近いので、うちにお寄りついでに足を延ばしてみてはいかがでしょう。と、さりげなく事務所もアピール(笑)。ご相談は無料です。

2013年6月12日水曜日

作品という言葉

「作品」という言葉に関して、ネガティブなイメージの意見があります。曰く、人の金でデザイン優先のマスターベーションのような家を建てて作品と呼ぶなんて何様?、という意見です。

まあ、そもそも建物の数だけ設計があるわけで、それを設計していいのは建築士なわけで、建築家がおかしな格好の家を自己満足で建ててる、っていうのは都市伝説にすぎないです。

マスコミが面白半分で取り上げて持ち上げて、その反面で落として嘆息してみせる都市伝説などほんの一部の話です。
大勢の建築士は縁の下で設計・監理を黙々とやっているのです。

ちなみに、デザインすると言うのは機能やスタイリングを「考える」という意味です。スタイリング優先というなら見た目重視という意味ですが、デザイン優先ということは「考える事」を優先しているわけで、まったく悪い事ではありません。
デザインをしないという事は「考えること」をしないという事です。


子供の頃のなぞなぞに、大阪城を建てたのは誰だ?、というのがありました。
豊臣秀吉と答えると、ハズレ、答えは大工さん、なんていうタワイモナイなぞなぞです。

でも、スポンサーは秀吉ですから秀吉が建てたと言ってもいいかもしれません。

もしくは、大阪城の構想は「難攻不落の要塞」であって外堀さえ埋められなければ実際その通りであったのですから、その構想を考えた城攻め名人「秀吉の作品」というのが妥当な答えかもしれません。

バルセロナにあるサグラダ・ファミリアはどうでしょう。あまりにも有名なガウディの作品です。
いまだ完成していないですし、様々な建築家と大勢の職人が彼の死後を引き継いでいまだ建築中です。

サグラダ・ファミリアは一見奇妙な形をしています。しかし、ガウディは紐と錘をつかった巨大な模型をつくって構造的にもっとも安定する形態としてあの形を構想したのです。
サグラダ・ファミリアを逆さにして天井に据え付けてみたと想像してください。天井から下がった錘のついた紐で構成された模型から発想された事がわかります。
あの形は奇抜さを狙ったものではなく、合理的な構造から構想されたものなのです。

http://goo.gl/1ach9 (画像検索結果)

彼を引き継いだ職人も建築家も、その構想を変えないで建築してきました。ですから、これは間違いなくガウディの構想による「作品」と言ってもいいでしょう。

しかしながら、サグラダ・ファミリアは数多くの芸術家による「作品」でも構成されています。彼らはサグラダ・ファミリアのその部分に関しては自分の作品であると言うでしょうし、それは妥当な話です。

また、サグラダ・ファミリアは建築当初からバルセロナ市民やカトリック教会が募る寄付で資金を賄ってきました。バルセロナ市民や教会から見れば胸を張って、これは我々の作品であると言う事もできると思います。

いや、歴史的な建築物や公共建築と個人住宅は一緒には論じられないよ、と言うのはわかります。
確かに心情的にはその通りですが合理的には違いはありません。


私は何人かの施主さんから、「あなたの作品」といえる家にして下さい、と言われた経験があります。その意味が決して、マスターペーションに使ってくれ、なんて意味じゃないのは当然です。

設計者にしても施工側の職人にしても毎日これをやっているわけで、毎日のルーティンワークのように家を建てることはできます。そして、そのほうが楽です。

しかし、本当にデザインして(考えて)、その構想を実現しようとして造ろうとすると、設計者も職人も非常にややこしい事をしなくてはならない事態が多々生じます。そりゃ面倒ですし、ルーティンワークでできる事ではありません。

なんでわざわざそんな事すんのかと言うと、ルーティンワークに喜びはないからです。また、デザイン(考える事)には、施主さんというもっとも近い隣人の喜ぶ顔も含まれているからです。人を喜ばせたり、感謝されたりって事は仕事での一番のエネルギーです。

だからこそ、設計者も職人も現場監督も、それぞれの立場と意味合いで「作品づくり」に関わっていると考えることが重要なのです。
そして施主さんも、一緒に考え・やりたい事を伝え、施工においては職人さんの仕事をおりに触れ見に来て感嘆し、何よりローンを抱え、それはやっぱり作品づくりに関わっているわけです。

ですから、建築家も職人も施主さんもそれぞれが「作品」に関わって、これは自分が創ったものだと胸を張れる事がいい家づくりになるんだと思います。





2013年6月10日月曜日

住宅再生リフォームの現場が始まりました

長く打ち合わせをしていた築50年(半世紀!)の家の再生リフォームが始まりました。さっそく解体が進んで今はスケルトン状態です。
梅雨に入ってしまって心配だったのですが、現在はから梅雨状態で、水不足は心配ですが現場にとっては幸運な感じです。



一見綺麗に見えても、水がかりの部分はやっぱり傷んでいます。シロアリがいないのは幸いでした。
木造住宅は水さえ漏っていなければ、どんなに年数経っていても(50年でもそれ以上でも)健全です。とこるが、継続的に雨漏りや水漏れがあるととたんに腐ってしまいます。
木造住宅にとって、防水がどんなに大事かはこうした現場ではっきりわかります。